奇跡の1本松を見に行く リーフで下道430キロ ーその3ー 【道の駅 岩手県】高田松原

国道346号線と国道45号線を使用し走ること約2時間弱。遂に目的地の【道の駅(宮城県)】高田松原へ到着!

時刻は15時20分。長かった。自宅を出発し15時間かかった。既に感慨深いものが込み上げてくる。周りはまだまだ空き地が目立つ。この道の駅は正面から見て左側が【東日本大震災津波伝承館】になっており右側が【道の駅】になっている。

ちなみにスタンプはこんな感じ。

時間も夕方になりかけていたので先に【奇跡の1本松】を見に行くことにした。真っすぐ伸びている道の先に海が見えるのだろう。

この辺りも10メートル位の津波があったらしい。見たことない自分には想像すらできない。

この防波堤の階段先にはどんな海があるのか

そこには穏やかな海があった。よく見ると松の木が植えられています。

4万本の松らしいです。また元の景色に戻ることを町の人々は願っているのだろう。私も1日も早く元の景色に近づくよう願っております。

↓元の道の駅です。この建物は残すのだろうか。

後ほど分かったが、この辺りは7万本の松の木が植えてあり、そのほとんどがなぎ倒されてしまった。その中で唯一残ったのがこの松の木らしい。

その後、【東日本大震災津波伝承館】に向かう。順序通り進むと【ガイダンスシアター】があったので見てみる。実際に自分の目で見た方がいいと思う。地震と津波による甚大な被害の映像と音声に心が締め付けられ涙を堪えるのに必死だった。誰も居なかったら恐らく泣いていただろう。実際、泣いている人もいた。

消防団の消防車も展示しておりガイダンスシアターを見たあとは見るだけで泣けてきました。

目に涙を浮かべながらもう一つの【ガイダンスシアター】を見る。

これも心が締め付けられた。当たり前にあった住宅、工場、店舗、道路。平穏だった日々が津波によりすべてのみこまれ跡形もなく流されてしまった。町は瓦礫で覆われ、道路もどこにあるか分からない。火災も起こり、穏やかな日常とはかけ離れ、この世の終わりにみえた。

津波は恐ろしい。

過去の先人達が津波の被害を経験したことにより『ここより上に住居を建てろ』みたいな立札があり、実際にそれを守った地域の方は東日本大震災の津波でも無事だった。今後も後世に津波対策を伝えておく重要性を認識した。

やはり海岸沿いの低地は危険なんだろう。何十年、または何百年かに1度の津波でも壊滅的な被害が出る。人々が安全に暮らせるよう海岸沿いの建築基準等を考えなくてはいけない。

その後は、周りの展示物を一通り見てから、もう一度海を見たいと思いしばらくぼーっとしていた。気づくと17時を過ぎていた。

空も暗くなり周りにも車が無くなってきたが、なんだかその場を離れることに躊躇いが生じた。自分は安全な場所へ帰ることへの罪悪感なんだろうか。

ただ、他の被害場所も見ておきたい気持ちはあった。津波の被害はここだけではない。また時間を見つけて他の場所へも行ってみようと思いました。

今回は陸前高田市の一カ所へ訪問してみました。市街地の7割が壊滅的な被害を被り、あの震災から10年が経過してもまだまだ元の暮らしには時間がかかることを痛感しました。復興に向け、まずは土地の嵩上げ、防波堤の建築を最優先する必要があるため時間がかかりますが、少しづつですが確実に復興に向けた街づくりが進んでいることを感じられました。

改めて被害を被った地域の復興が1日でも早く進むよう願っております。

この後自宅へ向け移動中に、まさかの震度6弱を経験するとはこの時夢にも思いませんでした。その事は過去記事を参照してください。

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カテゴリー: 【岩手県】, 【電気自動車】リーフ パーマリンク

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